非モテ編集長です。今宵も「極私的ベジャール体験」の後編をお送りしましょう。
2004年大西洋横断取材ツアーが
さて、2度目の取材のチャンスが回って来たのは、2004年春でした。ゴールデンウィークごろ、ニューヨークでトロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団、スペインのコルドバでフラメンコのホアキン・グリロを取材するという「大西洋を横断取材ツアー」が持ち上がりました。その時、私の頭にひらめいたのは、「モーリス・ベジャール・バレエ団の本拠地のスイス・ローザンヌに寄れる!」というもの。バレエ団も結成50年を迎えて来日公演も6月に決定。「これはインタビューを取る価値があります」とデスクに提案したらGOサインが出たのです。
トロックス取材後も予定決まらず。。
とはいえ、多忙なベジャール氏は、なかなか予定を押さえられません。まず、その時期はローザンヌでなく、パリにいるというので取材計画を変更。4月28日にNYに向けて出発したのですが、その段階でも取材時間は決まらず。その間、焦りつつも楽しい取材があったんだなあ。NY42番街のスタジオに1日中滞在して、トロックスのリハーサル風景を取材したんですねえ。たまたま、スタジオのエレベーターに乗ったら、かのバリシニコフとすれ違ったりして。。。「NYってスゲーところだ」と感動したもんですよ。おっと、話はそれてしまいましたが、私とトロックスの美しい男たちとの付き合いも長くなったもんです。
参考:5月のトロックス特集→http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2007/05/nyhatu.html
8月のトロックスと再会→http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2007/08/post_d805.html
パリのお宅訪問決定!!に舞い上がる
ところが困ったことに、NYを出発する5月2日になってもベジャールさんの予定が決まらない。当然、通訳さんのアポも取れないわけですから、手配をお願いしたパリ支局にも迷惑をかけてしまう。かなりアセリながら大西洋を渡りました。で、結局、取材日時が確定したのはパリに着いた3日の夕方ごろ。4日にベジャールさんのパリのアパルトマンで会うことになりました。ただし、取材時間はわずか30分。「ベジャールさんのお宅訪問だー!」で浮かれながらも、「限られた時間にしっかり聞かないと」とプレッシャーもキリキリとかかりました。
暖炉の脇で質問開始!!
で、取材当日。場所はパリの文教地区・カルチェラタンの一角。よく晴れた日だったと記憶しています。込み入った路地の中に塔 のついた古風な建物の門をくぐり、小さい庭を抜けると玄関でベジャールさんが笑顔で迎えてくれました。「おお、君のことは覚えているよ」。待った甲斐があったと感動しました!
インタビュー場所は居間。高い壁面の上に切られた明かり取りの窓から温かい日差しが注ぎ、暖炉の火が目にも温かい。暖炉の上にはゆかりの人々のフォトスタンドがずらりと並んでいました。しかしながら、和む間もありません。残り時間が頭によぎり、質問を始めました。
「体調はすっかりいいよ」
聞きたいことはたくさんありました。まず、体調のこと。その年の初めに、東京バレエ団に「今日の枕草子」という作品を振り付けるはずだったのですが、心臓病の専門医から飛行機に乗るのを禁じられていたのでした。その点を聞くと「2月は調子悪かったけど、今はすっかり元気ですよ」と張りのある声で答えが返ってきました。 あとは、私の質問に一つ一つ丁寧に答えてくださいました。語録を作ると以下の通りです。
「人生は目標と志を高く持ち、積み重ねる努力をすれば成功できることを伝えたいんだ」
「10年単位で見ればバレエ団に変化はあった。でも、50年単位で見ると大した変化はなかった」。 いいですよね。人類の悠久の歴史を考えて創作している人にとっては50年ぐらい一瞬のはずです。
「フランス語で海と母は同じ発音。それぞれ命をはぐくむものなの。人間に取っての根源。私の大切なテーマです」。 当時の彼の作品には、海や母親、幼少時の思い出が頻繁に登場するのでぜひ聞いてみたかったのです。
「この2年間、世界は危機に直面している。道徳、経済、イラクでの危機。ただ、ペシミストになってはいけない。こういう状況でのダンスは、人々に様々な感覚を目覚めさせる役割を持っていると思うんだ」
そして、最後に出た答えがこれです。 「死は美しい女性のようなもの。私は6歳で母を失ったので、母のイメージが死と結びつくんですよ。決して悲観的にとらえないようにしています」 そうなのでしょう。そのころからベジャールさん自身、死というものを受け入れる準備が出来ていたのに違いありません。
取材終了。ああ、聞けばよかった。。。
かくして、取材時間終了。慌ただしく、写真撮影を済ますと、ベジャールさんは、「(フランス学士院)芸術アカデミーの集まりに行くんだよ」といって、いそいそと出掛けてしまいました。 終わった。。。聞きたいことを聞き出せたと安心した反面、「しまった」という反省も吹き出してきました。そうなのです。暖炉の上に載ってたポートレートは誰だったのか? 書棚にはどんな本があるのか? 今、どんな暮らしをしてるのか? 「バレエ団50年」というテーマの記事を書く上での答えは得ましたが、自宅に行ったからこそ聞ける質問を聞きそびれたのです。
ああ、やはり緊張してたんだ。今回アップした写真もその時に撮影したものですが、あんまりうまくな いでしょう。せっかく、ご自宅にいったのに背景が写ってないし。。。お会いできたという喜びが大き過ぎて、うまく撮影出来なかったのは、何年か前に少年時代のヒーローだったプロレスラーのテリー・ファンクさんを取材し、撮影した時ですよ。感動のあまりに顔にピントを合わさず、コブシにピントを合わせててしまった、ことを思い出してしまいました。そうそう、右の写真の通りですよ。
小林十市さんの“追悼”インタビューで、やっと
ベジャール・バレエ団が2006年に来日した時は体調の関係でベジャールさんは同行しませんでした。結局、その時が最後のインタビューとなってしまったのです。 とはいえ、みなさん、きょう26日の朝刊の追悼記事を読んでいただけたでしょうか? ベジャールさんの薫陶を受けた小林十市さんが思い出を語ってくださったのです。振り付け助手として、中心ダンサーとして一番近い距離にいた人だけに、ベジャールさんの温かい人柄が目に浮かぶように話してくださいました。最後の最後になって、私の念願だったベジャールさんの懐に飛び込めたような気がしました。
改めて思うと、バレエの担当記者になってから、私にとってベジャールさんの存在って大きかったんだなあと思います。このブログを読んでベジャールさんの作品に興味を持たれた方は、来年ベジャールバレエ団の来日公演もありますので、ぜひ見てくださいね。
追悼モーリス・ベジャールさん!極私的ベジャール体験①初対面、青い瞳に呑まれてしまった→ http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2007/11/post_c69a.html
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