ポップスタイルを“卒業”します

(福)です。

テレビ番組の出演者などが改編期に降板する時、番組を“卒業”するという言い方が個人的にはちょっと引っかかってました。でも、いざ自分がそういう立場になると、これもなかなか含蓄があって良い言葉なのかなあ、と思うようになりました。私も1月いっぱいで、ポップスタイルを“卒業”します。

読売新聞水曜夕刊のポップスタイルは、普段あまり新聞を手に取らない若い世代にも読んでもらおうというコンセプトで、2006年4月にスタートしました。私も当初から関わっておりまして、07年12月~09年11月に初任地だった福島支局に再び赴任していた期間を除いて、4年近くにわたって携わって来ました。

この間、メインコーナーのALL ABOUTでは、本当にいろいろな方を取材させていただきましたが、特に印象に残っているのは、やはり私が主な興味と関心の対象にしているアニメーション関係の皆さんです。「時をかける少女」公開時の細田守監督に始まり、桃井はるこさんにはokamaさんと対談していただきましたし、「アズールとアズマール」絡みで高畑勲監督も登場。「河童のクゥと夏休み」の原恵一監督には、かっぱ橋道具街での写真撮影で様々なポーズを取っていただき、人気絶頂の平野綾さんにもお話をうかがいました。

福島から戻ってきてからは、「よなよなペンギン」のりんたろう監督、NHK紅白歌合戦初出場を決めた水樹奈々さん、現在テレビ東京で再放送もされている「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」の主題歌を歌ったKalafinaの皆さん、「宇宙ショーへようこそ」の舛成孝二監督……。そしてついに、「ハートキャッチプリキュア!」の主人公、キュアブロッサム&キュアマリンまでもが登場するという快挙(暴挙?)を成し遂げました。さらに、「借りぐらしのアリエッティ」の志田未来さん、「劇場版 機動戦士ガンダム00」の水島精二監督、「ゆかり王国のお姫さま」こと田村ゆかりさん、「星を追う子ども」の新海誠監督、ベテラン声優として存在感を増している林原めぐみさん、映画が同時上映された赤松健さんと畑健二郎さんの漫画家対談、「とある飛空士への追憶」の神木隆之介さん、「怪物くん」が実写映画化された藤子不二雄Aさん、そして先日の「ドットハック セカイの向こうに」の松山洋監督と伊藤和典さんの対談と、振り返ってみるとなかなか壮観です。

ALL ABOUT以外でも、まだ大きなブームになる前に「ジョソコ(男の娘)」をいち早く取り上げたり、昨年の大ヒットアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」が放送中に、脚本を手がけた虚淵玄さんにお話をうかがって記事を掲載できたりしたのも良い思い出です。

実は、ポップスタイルの前身として、私と先輩の(汗)こと石田汗太記者が「直言兄弟」というユニットを組んで月1回掲載していた「ポップカルチャー」という紙面が2004年1月~2006年3月にありまして、こちらでも、メイド喫茶や着ぐるみコスプレ、擬人化キャラなどをブームの先駆けに紹介するなど、かなりやりたい放題でした(笑)。

さらにさかのぼると、私が30歳で文化部に初めて来た2002年4月からテレビの担当になりまして、現在も続いている「深夜番組たんけん隊」というコーナーで、「ちょびっツ」や「あずまんが大王」、「シスター・プリンセス Re Pure」などの深夜アニメを紹介しまくってたら、大手ニュースサイトさんなどに「変な記事が載ってる」と取り上げていただいたのが、読売にこういう記者がいる、と認知されるようになったきっかけだったと思います。2ちゃんねるをはじめとするネットでの反響は、もちろん好意的なものばかりではありませんでしたが、これだけの人に読んでもらってるんだと知ることができたのは、自分がこういう路線を突き進む(笑)うえで大きな励みになりました。

思えば10年前は「萌え」という言葉もほとんど知られておらず、秋葉原やメイド喫茶などのいわゆる「おたく文化」もマスメディアではあまり取り上げられていませんでした。現在の状況を考えると、まさに隔世の感があります。非常に大きな動きがあったこの期間、自分にとっては30代の大半の期間を、こうした取材に携われたのは、本当に幸せなことだったと思います。

2月からは栃木県の宇都宮支局に異動しますが、もちろんこうした分野への興味と関心を失ったわけではありませんし、機会があればこれからも積極的に首を突っ込んでいきたい、と思っています。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。