
こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る連載「宝塚 初物語」。
13回目の今回は八千草薫さんを取り上げます。
もしかしたら「えっ、宝塚にいらっしゃったの?」という方もいらっしゃるかもしれません。
八千草さんは1947年に入団し、清純派の娘役として人気を集めました。
popstyleの人気連載「民ゾクッ学」で、「分福茶釜」をテーマに取材をしていた際、群馬県館林市の茂林寺で、八千草さんが子ダヌキに扮した宝塚公演「文福茶釜」の貴重なポスターを見せてもらいました。
在団中から映画の仕事もなさっていて、「宮本武蔵」3部作などに出演されています。57年に退団。
テレビドラマ「岸辺のアルバム」では、不倫妻役に挑戦し、清純派に固定されたイメージを覆しました。近年では「やすらぎの郷」などに出演されていました。一昨年、88歳でお亡くなりになりました。
読売新聞への初登場は、1954年10月19日朝刊。
主演した日伊合作映画「蝶々夫人」の撮影で、ローマのチネチッタ・スタジオでの一コマを伝える記事でした。
1960年12月11日夕刊では、ロングインタビューで近況を語っています。
57年に退団して映画の谷口千吉監督と結婚した途端、仕事がなくなり、引退がちらついた頃、「どんどん仕事が増えて、現在のようになっちまったの…」。
芸術座と東宝劇場のお芝居をかけ持ちしていて、午後7時36分に芸術座での舞台が終わったら、午後7時57分には、もう東宝劇場の舞台に上がっている、という忙しさだったといいます。
「(仕事があるのは)とてもうれしいわ。でも、そのおかげでいい映画も、よそのお芝居も見られないんです。私たちの勉強って、立派な方たちのお芝居を見る頃だと思うんですが、それができないのが悲しくて…」と語っています。
1962年5月28日夕刊の「お顔拝借」というコーナーでは、小学2年生の時に小児結核にかかり、卒業するまで月3、4日は学校を休んでいたと明かし、「中学から宝塚にゆくころになったら、体が丈夫になった」と話しています。
明日(3月17日)夕刊のpopstyleでは、好評連載「タカラヅカ 新たなる100年へ」を掲載いたします。今回は、野々花ひまりさんにインタビューしました。お楽しみに!
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