Pop Styleブログ

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 昨日の夕刊でご紹介した、全生庵さんの幽霊画について、記事では入りきらなかったお話をご紹介。幽霊画と落語、そして近代落語の祖・円朝師匠の落語だけでない速記や私生活など、話は多岐に広がりました。

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 取材は、入道雲がもくもくと出てDsc_0826_2いる夏らしい青天に、東京・谷中の全生庵内で行われました。和室に通され、畳敷きの部屋で、麦茶を飲みながら耳をすますと、セミのミーンミーンという鳴き声とともに、チーンという仏具の音も聞こえ、古き良き日本を思い出したようで、とても懐かしい気持ちになりました。

それでは、取材に盛り込めなかった詳細なインタビューを、お腹いっぱい愉しんで下さい!

Q)改めて幽霊画展について。経緯を教えて下さい

▼平井住職「以後、(平)」

 今の状態。すなわち、8月1か月一般公開という形になったのは、30数年前ですかね。谷中の方々が、町おこしの一環として、圓朝祭りというものをしたいと。で、ついてはその幽霊画を1か月一般公開してくれないかと。先代がじゃあ協力しようかと言う話しで始まったんですね。

 それまでは、基本的には圓朝師匠の命日が8月11日で、まあその日に昔から圓朝忌という法要をしていたので、そうですね、その圓朝忌前後1週間くらい、圓朝師匠の供養と、風入れということもあって、1週間くらいかけてましたね。一般公開というわけではなかったので、好きな人といいますか、興味がある人というか、そういう人たちが見に来るというかたちでした。

Q)改めて、幽霊画の魅力とは?

平)私は別にあの~、私が集めたものでもないし、私が幽霊が好きなわけでもないし。笑 ただ、そういう寺の住職になっちゃったというだけのことで。幽霊画そのものについては、ないんだけれども、うーん。まあ、魅力というか、子供の頃は、本堂に幽霊画がかかっている、朝晩本堂にお茶とご飯をあげるのが子供の仕事だったんだけど、やっぱり夕方とかちょっと薄暗くなってきたら、本堂に行くって言うのは、あんまり気味の良いものではなかったですよね笑。子供の時はだから、「なんでこんなものがあるのかな」みたいな。

で、住職してから、こうやって色々、毎年毎年取材をして頂いたり色々しているなかで、幽霊ってこう、なんていうのかな、結局その、本当に実在するかどうかは分からなくて、ある種、見る側の、確かにその出る方、出る方って言い方もどうかと思うんだけど笑

▼金原亭馬治さん「以後、(馬)」

やっぱり、幽霊画を私たちが見ていて、魅力っていうと、言い方おかしいですけど、全生庵にかかっている幽霊画って、キュートですよね。

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平)キュートか?!笑 それはちょっとよくわからん

馬)私なんかが見ていると人間らしいなと思っちゃう。結局、全生庵がこうやって、幽霊画展という形でもってみせる、その前とかっていうのは、どちらかっていうと、幽霊画というのは、デパートの夏の展示物というか、見世物というか、そういう感じだったのが、幽霊画展ということになると、美術的にちゃんと観照できるようになりますよね。大概それまでは幽霊画がテレビにうつるときって、「あなたの知らない世界」とかのワンショットで、ぐわ~!っていう使われ方しかしなかったじゃないですか。

 それが、企画展としてちゃんとやることによって、幽霊の人間くささみたいなものをじっくり観照できるのが魅力だと思いますよね。

 

Q)特に、好きなものはありますか?

平)好きな幽霊とかないな別に。笑

Q)笑。幼い頃に怖かったものは?

平)ああーそれは、子供のときは、絵のストーリーとか分からないから、絵自体の怖さでいうと、これは実は子供を助けている良い幽霊なんだけど、「伊藤せいう」という人が書いた「圓朝作乳房榎木」っていう滝壺に悪者によって、本人は死んでるんだけどね。自分の遺児がその悪い奴らによって滝壺に落とされるんだけど、それをすくい上げてくるっていう幽霊があるんだけど、それは形相があまりに怖くて、それは怖かったですね。

Q)それが怖くなくなっていくと

平)まあ、物語をしれば、結局自分の子供を助けているわけだから、悪人に対してその形相で出てくると。ストーリーが分かってくると、見方も変わってくる。

Q)何歳から

平)それは、住職になってからですよ。それまで興味ないから笑 別に。学生時代には取り立てて興味はないから、「毎年かかってんな~」って

Q)そもそも、全生庵さんとしての、幽霊観とは?

平)うちとしての考え方はさっき言ったように、基本的には人間の思いの創造物なので、自分に振り返ってみれば、自分の心にやましいことがないようにってことが、大切だろうと思うし。

 ある意味人間って、どこでどう人の恨みをかっているかわからないよね。今だって私とかSNSとかみないから分からないけど、言われているかもしれないし、自分の思いとは別のところで、違う方からとられたり、うらまれたりねたまれたりとか色々あると思うので、気を付けないといけないなとは思いますよ。

 だからやっぱり、幽霊を通して、人間ってどこでどういう風に人のうらみとかそねみとかしっととかをかってるか分からないから、あまりやはり傍若無人だったりとか、常に自分の言動を自分で振り返っていかないといけないのかなとは思いますね。だからそういうひとつのきっかけになってくれればというのが一番良いですよね・幽霊をみてね。単純に美術品として見て頂くのもありがたいけれど、一応お寺だしそういうことを感じてもらったら一番良いですね。

 

Q)昨今の流れで、幽霊って昔の人にとってはめちゃくちゃ怖かったとは思うんですけど、今の子供達にはどうですか?妖怪ウォッチみたいに、楽しい幽霊はいるが

平)うちの子供達も、幽霊画をかけていたら、あの部屋にはいかないよね

(こわいものではあると)

平)ただ、今って、明るいよね。夜も明るい。だから、明るさっていうのが、だいぶ影響しているよね。昔暗いんだもん。家の中にあんどん一つとかだとね。人間ってね暗いっていうことがイコール恐怖なんだよね。

馬)幽霊の出場所が少なくなっていますよね

平)だから、子供達はすぐ電気つけるよね。廊下で怖がらせたりしても

Q)怪談話をしていくなかで、昔と今で変わりはありますか

馬)昔が語れるほど、まだ20数年しかやっておりませんが、いまご住職がおっしゃったように、恐れだとか幽霊とかは自分の中に内在するものだと思うんですね。よくあの、それこそさっきの、幽霊の出場所が少なくなっているといいましたが、幽霊より怖い物が出てきている。SNSだとか。人間の方がよっぽど幽霊より怖いわけですよ。やっぱり、落語の怪談話では「こんなに悪い奴はいない」というものを見せていたのに、今はもっと悪い奴がいるでよう。だからむしろ、円朝作品を読んでいると、悪事なんだけど理屈の通る悪事。だから怪談として語っているんだけれども、人間のヒューマンドラマとして、みなさん聞いているんじゃないですかね。怪談話として恐れるというよりは、心の機微だとか。円朝ものの怪談話をやるときに、噺の枕として、先輩方の映像だとか音源を聞くと、「この噺をしたがために、たたりにあった」だとかいう噺をするんですが、その話をやったがためにたたり、よくないことが起きると良く言うんです。

 私は毎年円朝ものをやるんだけれども、それでよくないことが起きるかというと、確かにそれらしいことはあります。確かに目が腫れたりだとか、その話を聞いたお客さんから目が腫れたとクレームが来たり、することもあります。

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 ただそれは、さっきご住職がおっしゃったように、生きていれば良いことも悪いことも連続で起きてるんですよ。怪談噺をやったことに対して、悪いことしか目に付かなくなってくる。ナーバスになってるから。悪いことを結びつけちゃう。

 だから、幽霊もたたりも全て心の中にあるんじゃないかなと思うんです。

 (※円朝噺を高座にかける前は、必ず円朝師匠の墓へお参りに行くという馬治さん。このお墓には多くの芸能関係者が訪れるそうです)

Q)圓朝師匠の話を改めて

平)もともとはうちは、幽霊ということではなくて、お寺を作った山岡鉄心先生の禅の上での弟子だったというつながりですよね。いろんな諸説はあるんですが、お寺に伝わっている噺としては、お寺に来たときに、既に円朝という人は名人といわれていた時代だけれども、「お前さんは舌があるから、舌でしゃべるから面白くない」と言われて、それから鉄心先生について座禅をして、最終的には舌をなくしてしゃべると。だから戒名が三遊亭圓朝無舌居士。というものがついているんですね。そういうもともとは縁でお墓があるわけで。

 ある寄席で、槍を突くシーンがあって、(円朝が)やったら、「まずい」という声が客席からかかった。その声を掛けた人物が高橋泥舟という山岡鉄心の義理の兄にあたる、槍一本で伊勢の神になったというほどの達人で、思わず声が出たのかも知れない。で、泥舟と会ったときに、俺の所くるより山岡のところに行った方が良いよといわれて、山岡のところにいくことになった。自伝としてはそう伝えられています。

Q)住職自身はどういう人だと思っていますか

平)私は噺の方はよくわからないからね。ただ、人間舌がないと話せないわけであってね。それは圓朝の辞世の句であるけど、耳が聞こえなくなってやっと露が落ちる音が聞こえるようになったと。どの世界でも、例えば私たちの世界でも、お経を耳で読む、体で読むとか、みなさんでも腹から声を出せよと、芝居もここでするんだよと、ものを書くのでも手で書いているうちはだめだとか。舌をなくすということは、全身が舌になるということ。そういう意味では、禅の世界でのひとつ、道を究めた人としての尊敬の念はありますね。

Q)落語家としては?

平)会ったことなくて、音も残ってないですもんね

馬)落語界というのは、柳派と三遊派の大きくふたつに分かれていて、柳の四谷怪談、三遊の圓朝もの。っていう風になっている。金原亭はもともとは古今亭一問、そこは大きく言えば三遊派。そこの宗家が圓朝師匠なわけですから、私たちからしたら言ってみればルーツですよね。別格。円朝を継ごうなんて人はいないわけですから。

平)二代目を継ごうとしたひとはいたんだけど、死んじゃったんだよね。その後は残念ながら藤浦のお目に叶う人がいなかったんだろうね。

馬)唯一無二の存在なんですね。

Q)噺の音源は残っていないと

馬)全く残っていないんですが、圓朝師匠は落語の功績でたくさんの名作を残したというものもあるんですけど、圓朝師匠は「速記述」の発展にも寄与されているんです。ここにはっきりとかいてあるんですが、速記という正確に残すスベ、その速記術を発展させないとだめだと。圓朝師匠の落語を速記でもって残したんです。だから、これは圓朝師匠の言葉がCDのように一言一言残っている。息づかいなわけですよ。これが二葉亭四迷がいう「言文一致」に多大な影響を与えている。小説の進化にも寄与していると。

Q)これを読まれて感じることは

馬)崩したくなくなるんですよ。まずこの情報量がすごいですし、描写の鋭さというんですかね。普通我々落語というのは、師匠から落語をおせえてもらって、それでもって、自分でアレンジをして、自分の落語にしてお客さんの前でやるわけですね。初めの方は師匠と同じ落語をやるんですけど、段々と自分の落語ができてくると、離れていくわけです。

 ただ圓朝師匠の作品は「離れたくない」と思う。「崩してしまったら台無しにしてしまう」という気がするんです。まあ噺家さんそれぞれですが、私に関して言うと、極力崩さないように、一言一句をお経のように覚えるというのをやっているんです。七五調みたいに心地よいリズムで覚えやすいんです。こんなに覚えられるんだったら、大学でもっと勉強しておけばよかった。六法全書くらいいけるんだ。

Q)13日のものはどんな催し?

平)2か月に1度くらい、オンラインの座禅会とオンラインの般若心経。ハイブリットっていうのかな? 会場で20人、オンラインで100人とか両立ての座禅会と般若心経の会をプレジデントがやっていて、幽霊画がありますよね。うまいことできないですかねと。そこは馬治君呼ぶ?と。

Q)牡丹灯籠は改めて、どのような魅力がある作品ですか

馬)全体としては色々な噺が同時並行していて、それが最後にひとつになうる。その複雑な構成を明治の頃、既にやっていたというのがすごいですよね。

Q)円朝師匠がそれを書いたのは、お若いときですよね?

平井)牡丹灯籠はわかいよね20代でしたね

馬)中国文献、怪談集をあわせて、圓朝師匠がより洗練したと。

 お露がカランコロンカランコロンと駒下駄で、これは足のアル幽霊ということで珍しいんです。ところがこのカラーンコローンカラーンコローンと坂を上がってくる描写が、幽霊ってのはまさにこれだろっていう。出る時間からシチュエーションから、シニンケイカサネガフチは圓朝ものですが、幽霊出てくるかと言えば、あれは神経のなせるわざ。全部真吉の頭の中で妄想が映像化している。ただ、牡丹灯籠はちゃんと幽霊画でてくる。今回もそこがきける

Q)怪談話のコツは

馬)コツが分かれば、苦労しないんですよ~笑 

 師匠に言われているんですが、おどろおどろしい口調でやるなと。普通に話す。普通にやっていって、100あったら、90は普通でやって、10のところだけグッと押して緩急をつけると。鼻から終いまで怖いですよ~とはやらないようにしている。あとは怪談話なんだけれどもこれは先代の正三師匠も彦六師匠も円生師匠も雲助師匠もそうですが、必ず面白いところをいれる。言ってみれば、緊張と緩和ですね。張り詰めているだけでは疲れてしまうので。少し緩めて上げるところをいれると。怪談なんだけど怪談らしくやらないと。

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Q)住職、怪談話お好きですか?

平)いや~~~困るんだよね。そういうこと聞かれると。幽霊も落語も、その好きかって言われると笑。子供の時から両方とも常に身近にあるものだから。

馬)幽霊と噺家が常に身近にある人生っていうのも唯一無二ですね

平)落語好きだから落語聞きに行ったというわけじゃないから。好きかっていうより、ねえ。常に。好き嫌いとかいう選択肢がない状況で。噺家とも付き合わないといけないから

馬)噺家にしてみれば、全生庵というところは、噺家みんなの場所なので、聖地ですからね

平)子供のときから、いるなって感じ笑

馬)わけのわからないものたちが。それこそ幽霊が住み着いているようなものですね笑

Q)座禅を組もうという噺家さんは今もいるんですか?

平)いないねえ~!!いないな~~!(馬治さんをじっと見ながら)少しはやってみたらどうだ笑かけらもないな。みじんもないな笑 今度ちょっと座禅にいってもいいですかという話しすら出ない。

Q)落語と禅は関係は

平)基本的には円朝という人の人格の問題でしょう。

 最終的には悟りというか、境涯にたっして無舌ということになってるけど、それとともに、円朝という人が座禅をやっていた背景というのは芸だけじゃなくて、私生活を見ると決して幸せな人ではない。

 おやじさんも芸人だけど家にほとんどいいないような感じで、お母さんは芸人にはしたくなかったみたい、そこで丁稚とかにいくんだけど、結局、芸の世界に戻ってくる。そして奥さんも子供のこと、弟子のこと席亭とのいさかい、本当に色々なことがあって、私生活が順風満帆とはほど遠い。自分の生活の面での悩みというのがあった。

 あとは出自。武士という血筋を誇りに思っていて、当時やっぱり、芸人さんは非常に身分が低かった。だから、芸人の地位向上についてもものすごい意識をして、だから、山岡という人と付き合うということもね。山岡を足がかりに明治天皇の前で、御前落語もしたんですよね

馬)いま、ご住職がおっしゃった私生活を伺っていて、いつも円朝の作品を読んでいて、ジャーナリストなんですよねこの人は。言っていることが、なんでこんなに世の中をはすに構えてぶったぎれるんだろうと。今の噺を聞いていて、どこかに劣等感を抱えていたから一生懸命背伸びをしているような。噺も円朝氏の創作なんだけど、当時の世の中を切っているわけなんですよ、旧幕府から明治の新政府にかわって、いろんな矛盾を抱えている時代に、批評家として物語を作っているんですね。

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 読売新聞の水曜夕刊に掲載されている新感覚カルチャー面。旬の人のインタビューコーナー「ALL ABOUT」を中心に、若きタカラジェンヌの素顔に迫る「タカラヅカ 新たなる100年へ」、コラムニスト・辛酸なめ子さんの「じわじわ時事ワード」といった人気連載に加え、2016年4月から、ポルノグラフィティのギタリストのエッセー「新藤晴一のMake it Rock!」、次世代韓流スターのインタビューコーナー「シムクン♥韓流」がスタート。オールカラー&大胆なレイアウトで紹介する2面にわたる企画ページです。

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