こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る連載「宝塚 初物語」も14回を数えました。
今回取り上げるのは、淀かほるさんと鳳八千代さんです。
淀さんは1947年に入団しました。前回の八千草薫さんと同期です。主に男役として活躍されました。
読売新聞への初登場は、1958年3月10日夕刊。
大阪芸能記者会が、関西で上演された舞台を対象に投票する「レインボー賞」の第1回の演技賞受賞者に淀さんが選ばれたことを伝えています。「赤と黒」「即興詩人」の演技が評価されました。各賞の受賞者のみで淀さんらのコメントはありませんでした。
翌58年7月8日夕刊には「淀君」「シャンソン・ダムール」の演劇評が掲載されていました。
その中で、秀頼役の淀さん(まぎらわしいですねw)は、「悲劇の武将をよく演じ、“宝塚カブキ”とでもいうべき作品」と好評価を得ています。
当時の演劇評は、かなり辛口コメントが並びます。同じ記事でも「脚色が忠実すぎて重苦しい」「全景がいきづまるような連続は一考を要する」と、記者は書いています。(そして、それを救ったのは、淀さんたち出演者の演技だ、という流れになっていました。)
鳳八千代さんは、1950年に入団し、娘役として活躍しました。
初登場は58年3月4日夕刊。退団を知らせる顔写真入りの記事でした。
退団後は、テレビや映画、舞台に活躍されました。
62年4月23日夕刊の「お顔拝借」に登場。人柄や経歴を紹介するコーナーです。
その冒頭「当今では、まあトランジスター型女性に属する方だ」とあります。はて「トランジスター型女性」とは? 調べてみると、小柄だけれどもグラマーな方という意味で当時は使っていたようです。
退団の理由を話しているのですが、東京っ子らしく(?)なんともぶっちゃけています。
「いつまでたってもお姫さまみたいな役ばかりで、ハリアイがないので退団しました」
春日野八千代さんを相手役にするほどの看板スターだった、と記者は振り返っています。
そして、記者評で締めくくっています。
「とっつきにくいが、時間がたつと気さくな生地がでてくる。テレビ万能選手といったところだ」
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