こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
読売新聞水曜夕刊「popstyle」での宝塚歌劇を取り上げる連載「タカラヅカ 新たなる100年へ」に関連し、先日、当ブログで「読売新聞が初めて宝塚を取り上げたのはいつ?」を調べてご紹介しました。
http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2021/01/post-e253.html
その続きで、「あのスターの初登場はいつ?」を調べてみたいと思います。
今回は、初期編です。
「大正昭和美人図鑑」(河出書房新社)に写真が掲載されている天津乙女、葦原邦子、小夜福子、奈良美也子、春日野八千代、園井恵子、草笛美子、轟夕起子、桜緋紗子の9氏から、葦原さん、小夜さん、奈良さんの初出を調べてみます。(天津さんは前回調べて、1929年7月4日でした。)春日野さん以下はまた次回に掲載いたします。
まずは、葦原邦子さん。
1936年5月3日。「娯楽と家庭」面。
退団の3年前になります。
見出しは「昔懐かしい 葦原邦子の道化師」
記事は、オペレット「悲しき道化師」への出演を伝えるもので、出世作「サルタンバンク」で演じた道化師を思い起こして感慨深くなる人もいるでしょう、というようなものでした。
次は、小夜福子さん。
初舞台は1922年でしたが、頭角を現したのは1930年代半ばと遅咲きでした。
初登場は1933年3月20日。
松竹に挑む宝塚という構図を紹介する記事の中で、レビュー「巴里・ニューヨーク」の出演者を列記している中に名前がありました。
しかし、1937年6月17日には、結婚が3段見出しで大々的に報じられました。
この間に小夜さんが押しも押されもせぬスターに上り詰めたことがうかがえます。
そして、奈良美也子さん。
初出は意外と遅く1938年10月2日夕刊。娯楽面でした。
花組の組長を勇退した後で、退団する前年のことです。
芸術使節としてドイツ、イタリアへ翌日出発する歌劇団の一員として登場。コメントが掲載されています。
「一体ドイツやイタリアってどんな所かしら。ほら、あのう、(日独伊)防共協定ですか、あれでとても仲良しの国だそうですから、向こうへ行ったら遠慮無しに日本の自慢をしようと思っています。その代わりドイツとイタリアから力強い張り切った新しい歌や音楽どっさり聴いて、うんと勉強してきます。大きなこと言ってごめんなさいね」
世相、そして奈良さんの勉強熱心さや奥ゆかしさが読み取れるコメントです。
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宝塚 初物語1(http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2021/01/post-e253.html)
宝塚 初物語3(http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2021/01/post-6ea7.html)
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