3月19日のPOPSTYLEに掲載した神田松鯉さんと永井紗耶子さんの対談で、盛り上がりすぎて紙面枠に入りきらなかった「こぼれ話」を一挙に紹介します。名付けて、木挽町早春余噺(こびきちょうはるのこぼればなし)!(構成・文化部 森重達裕)
■「推し」を見るようで
――今回、歌舞伎座でご自分の作品が上演されることを知った時、どんなお気持ちでしたか? 永井 小学生の時に初めて見た歌舞伎が(三代目市川猿之助の)「スーパー歌舞伎」でした。(哲学者の)梅原猛さんが原案の作品で、「今、生きている人が歌舞伎を書いたりするんだ」というのが衝撃でした。歌舞伎というのは昔書かれた古典をやるものだと思っていたので。その後、野田秀樹さん作の「研辰(とぎたつ)の討たれ」を見た時に「やっぱり現代の人も書いていいんだ」と改めて思ったのですが、その時もまさか自分が歌舞伎にかかわるとは考えていなかったです。今回、ずっと見ていた歌舞伎座の舞台に、自分の原作の作品がかかるなんて……。見るまではまだ「本当か?」と思っています。でも最近、(主役の)市川染五郎さんが扮装してくださっている動画を見て、観客目線というか、『推し』を見ている気持ちになって、感動しています。
――松鯉先生は、今回の『無筆の出世』の配役をどうお考えですか
松鯉 (今回、出演する)大阪の成駒家さん(中村鴈治郎さん)と、弟の中村扇雀さん、おふたりが歌舞伎座で初舞台だった時、私は黒衣(くろご)を着て舞台に出ていたんですよ。確か中村智太郎と中村浩太郎といっていたと思います。もう、今はご立派になられて。その時の配り物の手ぬぐいを私、持ってますから。懐かしいなあと思ってますよ。
――かつて歌舞伎役者だった松鯉先生ですが、今回、歌舞伎座の舞台に出演者として上がるお気持ちはいかがでしょうか
松鯉 やっぱり懐かしいなあと思うし、歌舞伎座の舞台に上げていただくのは大変なことだと改めて実感しますね。今の歌舞伎座の揚幕の奥の「鳥屋」にある鏡は、今の歌舞伎座が建てかわる前にも使われていた鏡なんですよ。(2022年9月28日に)歌舞伎座で伯山と親子会をやった時に、松竹の方が教えてくれました。私が歌舞伎にいた時は、揚幕を「チャリーン」って開ける名人がいたんです。役者が出番を待っていて、「はいっ」と声をかける。有声音じゃなく、無声音で。その「間」がすごく良かったんです。名優たちがその方をかわいがっていたことを覚えています。「間」は、「魔」につながると(落語の名人)三遊亭円生師匠もおっしゃっていましたが、本当にいい間だったんですよ。
――上演台本を読んでのご感想は
永井 実は私、ちょっとうるっときました。小説はミステリー的な要素があるのですが、今回はむしろ主人公の成長譚(たん)になっている。(脚本・演出の)斎藤雅文先生は本当に作品をすごく読み込んでくださって、出演される役者さんたちのことも本当によくご存じで「この方だったらこんな表現をしてくれるんじゃないか」「このキャラクターをこの方がやるならこうした方がいいんじゃないか」と色々なことを考えて作っていただいているのがわかりました。今は、ただただ、楽しみです。この小説はオーディブル(朗読)にしていただいているのですが、朗読だと9時間かかるところを(舞台で)ギュッとまとめた時、どれだけキャラクター性が出るかは、生身の役者さんに演じていただくことで育つものだと思います。主人公の菊之助の成長物語であり、それを染五郎さんご自身の成長に重ねて斎藤先生が書いてくださった。そういう意味で初日と千秋楽でも変わっていくかもしれなくて、それも楽しみにしています。
――松鯉先生は当代の松緑さんとは、この何年かでお付き合いが深まったんですよね
松鯉 そうですね。私は紀尾井町の旦那(当代の祖父・二代目松緑)が大好きだったんです。今はない『演劇界』という雑誌に紀尾井町の旦那について書いたことがあります。「吉野川」の場面で、六代目の成駒屋(中村歌右衛門)と本花道と仮道で、大判事と定高の掛け合いの場面について書きました。旦那のせりふを聞いて「銀の声」というのはこれだな、と思った。リーン………って、客席の天井に声が共鳴するんですよ。すごいなと思いました。書いたらしばらくして、今の松緑さんから贈り物をいただきました。「祖父のことをよく書いてくれてありがとうございました」と。
――永井さんは講談を小説の参考にすることはありますか?
永井 あります。実は前に書いた『きらん風月』という小説は、栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん)という江戸時代の戯作者が主人公ですが、その人が書いたものが明治時代は山中鹿之助(「尼子十勇士」の一人)の講談になっていて、速記本を読んでエッセンスをもらって書いていました。すごく学ばせてもらいました。
――500席とも言われる先生の持ちネタから『無筆の出世』が歌舞伎に選ばれたのはなぜでしょうか。
松鯉 私に愛着があったんです。私、ノートを広げて記録を見たら昭和年(1982年)に初演している。ということは、その1年以前ぐらい前に速記本から採集したネタです。だから年ぐらい前のことになりますけれども、田辺南鶴先生の(口演の)速記本から取ったんです。私以外にどなたもやってないと思っていたのですが、先日、文化庁が助成する「講談 伝承の会」の初日に私、出たのですが、そしたら(人間国宝の先輩の)一龍斎貞水先生の遺品が陳列してあって、その中に『無筆の出世』が和綴(と)じの厚い本になって、「一龍斎貞水」と署名も書いてあったんですよ。私、同期ぐらいの仲間に「聞いたことある?」って尋ねても「ない」という。貞水先生はおやりになろうと思ってたけれども、私がその前にやっちゃったから、おやりにならなかったのかもしれない。もしかしたらですよ。もし貞水先生がなさっているのを知っていれば、私はやらなかったと思う。本当にやりたければ「教えてください」と言いに行くのが、芸界の仁義ですから。私は何人かに教えてますけども、それ以外には誰もやってないですよね。(弟子の)伯山には確か教えたと思います。
■「伝統は常に発展している」
 永井 私の周りには松鯉先生のファンが多いんですよ。IT系の人のファンで、今、若い方の間でも、歴史の話を講談で聞きたいという人が増えているなと感じています。
松鯉 そうですか。うれしいですね。それは伯山の影響ですよ。伯山を育てた師匠を聞いてみたいというのは、きっとあると思いますね。
永井 市川染五郎さんがいいな、となったら松本幸四郎さん、松本白鸚さんがいいな、というようになる感じでしょうね。もっと熟された芸に皆さんがたどり着くことがあるんだと思います。
松鯉 ありがたいですね。伯山は本当に縦横無尽にやってます。自分の弟子をほめるのは変だけども、決して師匠をおろそかにしない。いつも心配の電話をくれて、そうした心遣いができる子なんですよ。
永井 以前、対談させていただいたのですが、伯山さんは「今」という時代を見ながら講談を演じていらっしゃる。「今の時代は元気がないから、もっと元気になるような話し方の方がいい」とおっしゃっていて、とても視野が広いなと思いながらお話を聞いていました。
松鯉 伝統は常に発展していて、発展のないところに伝統はないという格言があるぐらいです。歌舞伎も、能狂言でさえも変わっている。時代を見つめてやることが必要ではないでしょうか。ただ、時代におもねってはダメです。逆に、自分で時代をリードするぐらいの気持ちでやれと、私は伯山に言っています。あの子ならやれると思うから。「自分の理想としたやり方をやれ、時代を作れ、おもねるな」と。
永井 私は、今の時代の問題を解決するにはどうしたらいいのかと、いつも思っています。今の社会の問題でも、実は過去の歴史で同じようなことを人間は起こしている。ではこの時代、この場面で、人はどういうふうにしていたのかを歴史を調べて振り返って書くことが私は多いと思います。
■見てから読むか、読んでから見るか
――永井さんから松鯉先生に聞いてみたいことはありますか
永井 いっぱいありますが、『無筆の出世』を講談で演じられていた時には、各人物にイメージされている「声」があると思うんです。役者さんのお芝居の中でも期待するイメージはあるのですか?
松鯉 役者衆というのは台本以外に自分の演技プランをきちっと立てますから。人物像とか、その人物の来し方だとか。歌舞伎の場合は、主役が演出のようなものですけれども、役者衆は演じる人物が、どういう形で生まれたとか、どういう過程で生きてきたかとか、そういったことまできちんと作るんですよ。それが演技の「実」につながるんですね。ただセリフ言うだけじゃないんですよね。
――それを松鯉先生は講談において登場人物全員分、やっているのですか
松鯉 やるんですよ、私らも。ただ、これは役者衆がやる場合は役者衆の考えでやっていただければいいわけで。治助そのものの性格は非常に実直で正直で、嘘はつけない。本当に愛すべき人柄だと思うんですね。
永井 私も一応、(各登場人物の設定を)決めています。通じるものがあるなと思っています。
――今回、歌舞伎になる作品をお客様にはどう見てほしいでしょうか
永井 ともかく、楽しんでいただくことが一番うれしいです。お芝居を見て小説を読んでいただいてもいいし、読んでからお芝居を見ていただいても、どちらからでも楽しめるのでは。実際に演じていらっしゃる方を想像しながら小説を読んでいただくとさらにクリアになる部分もあるし、逆に読んでから舞台を見ると「ああ、ここはこうしたんだ」という面白さもあると思います。この作品に限らず、お芝居の楽しさと、脳内3Dで楽しむ小説の楽しさ、その両方を行き来しながら楽しんでいただけたらうれしいなと思っております。
松鯉 さっきの話と重複しますが、歌舞伎や講談を通じて、美しく生きたいと思うんですね。例えばこの芝居(『無筆の出世』)では「仇(あだ)を恩で返す」わけですから。普通はできることじゃないんですよ。今、日本は道徳教育がなくなってしまって、電車に老人が乗ってもきても若い人が座ったままで席を立たないとか、そんな現象が目につきすぎるんです。人間は優しく生きたいなと思うんです。
永井 それはすごくわかります。私も多分、そういうことを伝えたくて小説を書いていると思います。
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