こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る連載「宝塚 初物語」。
今回は寿美花代さんです。
俳優の高嶋政宏さん、政伸さんの母です。料理番組「ごちそうさま」などテレビを通じて、故高嶋忠夫さんとのおしどり夫婦ぶりにほのぼのした方も多いのではないでしょうか。
寿美さんは、1948年に入団。主に男役として活躍され、63年に退団・結婚されました。その後、情報番組やバラエティー番組に出演するなど芸能活動を続けていらっしゃいます。
初登場は、1952年7月28日夕刊。初主演の「猿飛佐助」で人気を獲得した頃の記事です。
宝塚入りの動機は、「あんまり勉強はでけんし、何となく映画女優になりとうて、近道や思うて」だそうです。
猿飛佐助の主演で、小さい子が忍術を教えてほしいと朝寝ているうちから押しかけてきたそうです。
当時20歳。「25,6(歳)にならんとこいの場面など、うまくでけへん」とおっしゃっておりました。
寿美さんの代表作はなんといっても「華麗なる千拍子」でしょう。
尻上がりに興行成績が良くなっていき、当時の記事には、定員2476人の東京宝塚劇場での千秋楽には、なんと3100人以上が詰めかけたとありました。かなりの人気作だったことがうかがえます。(当時は消防法の規制がなく、定員以上にお客さんを入れていたんですね。)
その「華麗なる千拍子」の前触れ記事(1960年7月31日夕刊)で、寿美さんは「女役になる以上は男性を悩殺するような立派な“女”になるよう努力します」と、意気込みを話していました。
60年10月31日の記事では、「華麗なる千拍子」を観劇・取材した記者が、「自信たっぷりにリーダーの魅力をはなってやまない。歌をきかせるのでなく、歌を見せるスターに成長したのだ。この種のスター出現は越路吹雪以来のこと」と、絶賛しております。
それから55年後の2015年4月13日夕刊(大阪版)の連載「殿堂をたずねて」で、寿美さんは、この時着用していた豪華なネックレスを紹介しています。「舞台映えするし、少しでも肌を隠したくて。組み合わせて使ったり、別の飾りを縫いつけたりして、華やかに見せる工夫もしましたよ」と懐かしんでいました。
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