こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る連載「宝塚 初物語」をお届けいたします。
今回は越路吹雪さんを取り上げます。
越路さんは、言わずと知れた日本を代表するシャンソン歌手で、舞台女優です。
宝塚の27期生で、同期には月丘夢路さん、乙羽信子さん、大路三千緒さんなどがいます。(豊作の年だったのですね。)1939年に初舞台を踏みます。
読売新聞への初登場は、1950年9月3日朝刊です。
宝塚に在籍したまま、東宝の映画「東京の門」に出演するというニュースです。
戦後ショーマンとしてめきめきと頭角を現して、(宝塚初期の大スター)天津乙女さんの寵愛を一身に受けたそうです。記事によると、映画出演のあいさつに天津さんの所へ行くと、天津さんはエメラルドの首飾りを越路さんにプレゼントして、「しっかりやっていらっしゃい。苦しいときや辛いときにはこのネックレスを出して、私を思い出してちょうだい」と言ったそうです。
越路さんは翌51年には退団し、「日本のシャンソンの女王」として活躍しました。
そんな越路さんを支えたのが、宝塚で編集者をしていた、作詞家の岩谷時子さんです。越路さんと同時に宝塚を辞し、マネジャーになり、数々のヒット曲を作詞しながら越路さんを生涯にわたってサポートしていました。岩谷さんは本業を聞かれると「越路吹雪のマネジャー」と答えていたそうです。
そんな岩谷さんが初めて読売新聞に登場したのは、1969年10月1日夕刊です。
「コンビでいこう」という連載の初回に越路さんとともに登場。
「何もかもわかり合う」と見出しにあります。
文学好きの2人は井伏鱒二か萩原朔太郎の作品が縁で意気投合したそうです。
当時フリーで活動していた越路さん。いくら越路さんが売れてもマネジャーの岩谷さんは固定給だったようで、その額33,000円。(現在で言うと、22万円くらいでしょうか。)
岩谷さんは言います。「パーセンテージで取ったりしたら純粋じゃなくなってしまう。友人として、コーちゃん(越路さん)にいい仕事をさせたいの」
絆の固さがうかがえる名コンビでした。
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