宝塚 初物語6(冨士野高嶺、神代錦)

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こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。

宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る「宝塚 初物語」です。

今回は、冨士野高嶺さん、神代錦さんを取り上げます。

冨士野高嶺さんは1928年、宝塚音楽歌劇学校(当時)に入学、29年に初舞台を踏み、72年に退団します。57歳定年制が導入されての適用第1号でした。その後は、日本舞踊の花柳禄春として後進を指導しました。

退団直後のインタビュー記事(1972年7月21日夕刊)が、初登場です。

退団時には「創立60周年までは、緑のはかまをつけて、生徒として在籍したかった」と残念がっていましたが、舞踊教師として再出発するにあたっての抱負を語っています。

記事は定年制にも言及。「定年制は生徒に厳しさを自覚させるためという狙いとは裏腹に、なにもしなくても、56歳までは安全」という、ノホホンとした空気も一部に出てきている」としたうえで、冨士野さんの言葉を紹介。「厳しさを植えつけるんなら、ほかに方法はいくらでもあると思うんです」。「入団と同時に気力をなくすというのは、やはり受け入れる歌劇団にも反省すべき材料が多いんじゃないでしょうか」

忖度なく、率直に意見をおっしゃる方のようです。運営批判とも取れますが、組織をより良くしていこうとする愛の詰まった発言です。

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次に神代錦さん。生涯現役で1930~80年代に活躍され、宝塚の理事も務めた方です。

初登場は1950年8月29日夕刊。

「わが自慢」というコーナーで、男役をこなすのに有利な大きくて丈夫な体を誇っています。

足に損害保険をかけるのが流行ったらしいですが、神代さんは入らなかったそうで、「こんなに年中捻挫や外傷をするのならつけておけばよかったとしみじみ思います」と、冗談半分に悔やんでおります。

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