こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
あす(20日)の読売新聞夕刊の見開きカラー「popstyle」のメニューは
- 「ALL ABOUT 山田杏奈」
- 「タカラヅカ 新たなる100年へ」和希そら
- イマ推しっ!「劇団ノーミーツ」
- 辛酸なめ子のじわじわ時事ワード「UNMASKED」
- 渡邊圭祐「箸休め」
- 霜田あゆ美の今日はどんな日「二十日正月」
です。
好評の宝塚歌劇団の連載が掲載されます。そこでちょっと気になったのが、「読売新聞が初めて宝塚を取り上げたのはいつ?」
調べてみました。
すると、初公演から4年後の1918年5月17日の婦人欄でした。
帝国劇場で公演を行うという前触れ記事でした。
見出しは「宝塚少女歌劇の両花形=来たる22日上京」
記事のさわりは「大阪宝塚の少女歌劇団一行50余名はいよいよ来たる22日入京、23日は帝劇に招待日を催し、24日三越、白木各呉服店ならびに浅草公園の観音劇場と日本館を見物し、25日は女子大学と音楽学校を参観し、26日から3日間、毎夜6時より帝劇で公演するそうです」。
花形の篠原浅茅さん、高砂松子さんの写真を添えて報じています。
そして、5月23日の紙面では「宝塚少女歌劇団昨夜入京」と伝えています。
では、初期の大スター、天津乙女さんの初出はいつだったのでしょうか。
1929年7月4日。入団の10年後でした。
見出しは「天津乙女の返り咲き」。
「宝塚の天津乙女は今度、古巣に返り咲くことになり、26日から8月1日まで月組の少女たちと上京、歌舞伎座に出演することになった。出し物は『ハレムの宮殿』・・・」
と、記事は伝えています。「返り咲き」とは何か。月組へ戻ったのかな、と想像しますが、正確なところは、私の乏しい知識では分かりません。すいません。
読売新聞に宝塚歌劇団が登場してから100年以上。まだまだ調べれば、興味深いことがわかるかもしれません。機会を見て、またご紹介していこうと思います。
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宝塚 初物語2(http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2021/01/post-5caf.html)
宝塚 初物語3(http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2021/01/post-6ea7.html)
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