こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る連載「宝塚 初物語」。
10回目の今回は月丘夢路さんを取り上げます。
これまでに取り上げた越路吹雪さん、乙羽信子さん、大路三千緒さんと同じ27期生です。
月丘さんは広島県出身で、1937年に宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)に入学します。2年後に初舞台を踏み、娘役スタートして活躍します。
42年に映画「新雪」でヒロインを演じ人気を集め、43年に宝塚を退団します。戦後も小津安二郎監督の「晩春」に出演するなど映画、テレビ、舞台で活躍しました。
そんな月丘さんの読売新聞初登場は1950年2月27日夕刊です。退団して7年後です。
事件記事という少し特異な形での初登場となります。
月丘さんは、1948年3月に名古屋市の日活スタジアムで無断興行をしたと反社会勢力で演芸界の「顔役」に因縁を付けられ、歌手の田端義夫さんと旅館に監禁されたことがあったそうです。記事では、その「顔役」が逮捕されたことを伝えています。ちなみに、この顔役、愛知県の選挙管理委員だったそうです。
2回目の登場はその約2か月後の1950年4月11日夕刊です。
「ストリッパーにもなる」の見出しで、東映映画「アプレガールと哲学者」にストリップ・ガールとして出演すると紹介されています。今の一般紙ではほとんど掲載されない、入浴の場面の写真が添えられています。
月丘さんは1951年7月から約1年間、アメリカ・ニューヨークに滞在し、声楽と舞踊の勉強をします。3回目の登場は、帰国直後の52年9月11日夕刊です。アメリカ滞在で学んだことを語っています=上の記事画像=。
「ニューヨークの片すみにいると、(中略)人種の違いってー、人間の歴史ってー、なんてトテツもない深遠なことが気になるの」
「日本にいる間は映画界っていうヴェール越しにしか世間を見なかったけど、自分の眼や手でじかに世間にふれてみて、自分の小ささや、女優としての貧しさをつくづく知ったのね」
と、語っています。
渡米中に日本で起こった月丘さんを巡るいざこざのこともフランクに話しています。
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