こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
読売新聞水曜夕刊「popstyle」での宝塚歌劇を取り上げる連載「タカラヅカ 新たなる100年へ」に関連し、「あのスターが読売新聞が初めて宝塚を取り上げたのはいつ?」を調べて紹介する企画の第7弾です。
今回は、雲野かよ子さん(1908~91年)の記事を調べてみました。
雲野さんは11期生で娘役。姉は、宝塚の初期の大スター、天津乙女さんです。天津さんは読売新聞が初めて宝塚を取り上げた記事に登場しました。(この連載の初回でご紹介しております。http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2021/01/post-e253.html)
1923年に初舞台を踏み、42年に退団しています。
初登場は、1930年5月21日朝刊。映画化する女優姉妹の哀話「楽園の姉妹」に主演することを報じた記事でした。
実の姉、天津乙女さんと姉妹役、W主演です。宝塚でのヒット作「モン・パリ」も劇中劇として上演すると書いてあります。とても興味深い作品です。
それから7年後、1937年4月10日朝刊にも雲野さんの記事がありました。
電撃的に日活入りし、世間をざわつかせた轟夕起子さん(第3回に登場、http://blog.yomiuri.co.jp/popstyle/2021/01/post-6ea7.html)から間髪入れずに、日活が雲野さん、天津さん、大空ひろみさん、花里いさ子さんの4人を獲得したという記事でした。
雲野さんは日活のどんな作品に出演したのか過去記事がなく、分かりませんでしたが、轟さんのように宝塚を退団しなかったようです。
さらに1年後の38年5月6日夕刊では、今度は東宝劇団の舞台に出演することが報じられています。
芝居の上手さからお声がかかったようです。
読売新聞の水曜夕刊に掲載されている新感覚カルチャー面。旬の人のインタビューコーナー「ALL ABOUT」を中心に、若きタカラジェンヌの素顔に迫る「タカラヅカ 新たなる100年へ」、コラムニスト・辛酸なめ子さんの「じわじわ時事ワード」といった人気連載に加え、2016年4月から、ポルノグラフィティのギタリストのエッセー「新藤晴一のMake it Rock!」、次世代韓流スターのインタビューコーナー「シムクン♥韓流」がスタート。オールカラー&大胆なレイアウトで紹介する2面にわたる企画ページです。