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(前回までのあらすじ)

 オーバジンズのメンバー3人とマリリンは、ギターのハオランを探して中国・琴山村を目指すが、なかなか辿り着けない。寒さから死をも覚悟した健太だが、気を取り直してクイーンの「We Will Rock You」を歌うことを提案。みんなの歌が熱を帯びた時、道の先に怒鳴りまくるおばさんの姿があった。琴山村に着いたのだ。歌手として日本に出稼ぎに来たことがあるという彼女の歌声の実力に驚く健太たち。さらに、驚くことに、彼女はハオランの母親だった。

*

 腰を抜かしそうになるとは、こういうことかもしれない。ハオランに繋がる手がかりどころか、いきなり母親に会うとは。

「ていうことは、その赤ちゃんはハオランの弟か妹ってこと?」

 真治は重そうな足を引きずりながらも赤ん坊に近づいて、ベロベロバーなんてやりながら顔を覗き込んだ。

「目元がハオランにそっくりだ」

 しかし、ハオランの名前を聞いたお母さんの取り乱しようはなんだ?

「やっぱり、俺たちのことを怒ってるの? 琴山村のルールみたいなものを破らせて、バンドに誘ったこと」

 マリリンは一度頷いてから首を振った。

「それも当然ある。一つの共同体としての村のルールを守らない非は、家族にも及ぶみたいで、お母さんも苦労してるみたい。村の慣習で、ハオランの兄弟たちは学校にも通えないって」

 俺は唇を噛む。真治とマッシーも俯いた。

「ドゥイブチー」

 俺は知っている数少ない中国語で、ごめんなさいと言った。

 おばさんは目を見開いて怒りを表したが、すぐに力なく首を振って、またおいおいと泣き始めた。許してくれたはずはない。だが、おばさんの涙の理由は、俺たちを通り越して他のどこかにありそうだ。

「ハオランに何かあった? ここに帰ってきてるんじゃないのか。まさか、お母さんもハオランの居場所を知らないとか?」

 俺は咄嗟によぎった不安を口にした。

「琴山村にハオランはいない。まだ日本にいるらしい。詳しい場所はお母さんにもわからないって。だから泣いてるの」

「帰ってきてない? かーっ、ここまで来て無駄足かよ。じゃあ、ハオランはどこにいるんだよ。この村に金を送るためにバンドからばっくれて、他で稼いでんじゃねえのかよ。金さえ送ってよこせば、この村も母ちゃんも文句ないんだろ? なんでびぃびぃと泣いてんだ」

 マッシーの大きな声に驚いたのか、聞いたことのない鳴き声をあげながら、鳥が数羽飛び立った。意外なほど大きな羽音が山に響く。その音が空に消えると、あたりはまた、お母さんのすすり泣く声だけになった。

「まだ続きがあるから黙って聞いて。お母さんは『同胞』がって言って泣くの。日本にある中国人のネットワークに属する人を指すみたい。その同胞に預けられたそうよ。琴山村の村長の命令で」

 マリリンはお母さんを気遣って、低く抑えた声で話した。

「それならなおさら安心じゃん。同じ中国の人のところで働いてるんでしょ?」

 真治がのんきな口調で言った。

「真治、この人の雰囲気を見てて、そんな悠長な話じゃないってことくらいわかるだろ? なあ、マリリン。その同胞ってのはやっかいなやつなのか?」

「うーん。普通、同胞って言ったら単純に同じ中国人のことを指すんだけど、お母さんのニュアンスからして、ちょっと違うみたい。ハオランが悪い大人になってしまうって盛んに言ってるから」

 マフィアみたいなもんかなと想像する。マシンガンじゃなくて、ギターを抱えるマフィアってクールだな、と不謹慎な想像をしていると、後ろで真治は派手なくしゃみをした。寒さと疲れは限界にきていた。

「せっかく寝かしつけた赤ん坊に風邪ひかしちゃ悪いからさ、お母さんには明日、あらためて話を聞かしてもらうとして、泊まれるところ聞いてよ」

「それなら、最初に聞いたわ。そんなもの、この村にはないって」

 ネットでの下調べではホテルは見つけられなかったものの、なんらかの宿泊施設くらいあるだろうと高をくくっていた。自分たちのあまいもくろみを呪う。まさかの野宿? 本当にオーバジンズ、中国で死す、か。

 夜空に日本の母さんを思い浮かべていると、ハオランのお母さんがマリリンに言葉をかけた。

「泊めてくれるって」

 俺は目の前のお母さんを見た。夜叉にもジャズシンガーにも見えたお母さんが、今は如来に見える。

「そのかわり、明日、村長に会ってくれって言ってる」

 

 翌朝、強烈な平手打ちで起こされた。寝返りを打ったマリリンの右手だった。その手を払いのけると、マリリンの顔がすぐ近くにあった。あまりの近さに体が固まる。俺はそのままの体勢で、マリリンが目を覚ますのかと様子を窺ったが、言葉にならない寝言を呟いただけで、すぐに規則正しい呼吸に戻った。

 昨夜、俺たちにあてがわれたのはハオランが使っていた部屋で、3畳ほどの広さがあった。部屋の半分をマリリンが独占して、残ったスペースに男たちは重なるように寝たが、寝込んだ後はその協定は守られようもない。もっとも、俺たちが陣地を広げたというより、マリリンが迫ってきてこちらがより窮屈になった配置に、だったが。

 平手打ちのお返しに、というのは嘘で、せっかくなんでその寝顔を間近に眺めた。メイクが落とされた頬は、まだ薄暗い部屋にあっても白く透き通っているのがわかる。いまだにマリリンの年齢を知らないが、少女の持つ危うさみたいなものがそこには残っていた。この頬が本当の少女のものであった時、どんな涙が伝ったんだろう。笹井さんの話だけでは足りない。もっと知りたいと思った。家庭環境も勉強も運動も友達関係も、きっと容姿も、全部、中の中。そんな俺にわかってあげられることなんてあるのかな。俺はなおも見つめ続けた。安らかな寝顔に、その手がかりを探すみたいに。

 マリリンの頭が少し動いて、柔らかそうな髪がはらりと顔にかかる。俺は自然と手を伸ばしていた。ただ髪を払ってあげようとしたのか、頬に触りたかっただけなのか、俺にもよくわからない。俺の指先が髪に触れる直前に、マリリンの鼻が、小動物のまばたきくらいにわずかに動いた。起きだす、と思った俺は瞬間的に手を引っ込めて、マリリンに背中を向けるように寝返って目をぎゅっと閉じた。

 鼓動がはやい。耳がじんじんする。もう一度、振り返ってみたい衝動に駆られる。しかし、マリリンの様子を窺おうとわずかに開けた俺の目に入ったのは、マッシーの汚れた靴下だった。俺の足もマッシーの鼻先にあるはずだからお互い様だ。

 高まっていた気持ちは一気に覚めて、俺は体を起こした。

 しかし、殺風景な部屋だ。普通のギターキッズの部屋なら、壁を埋め尽くすほどロックスターのポスターが貼られていてもおかしくないところだけど、そこには小さくて着れなくなってしまったと思われる地味なジャンパーが掛かっているだけだった。ギターアンプや音楽雑誌の類いもない。

 寝ているヤツらを踏まないように注意しながら、部屋に置いてある数少ない物品を見て回った。目覚まし時計は止まっている。手編みのマフラーは、母親が編んだものだろう。太いゲージの毛糸がきつめに編まれている。ここの寒さから息子を守ろうとする母親の思いがわかる。

 あとは目につくものといえば、文机の上に古いノートがあるくらいだ。何度も開かれたようで、紙の端はボロボロになっている。俺は何の気なしに手に取って開いた。

 なんだろう、これ。無数の漢数字と麻雀の牌のような模様が、びっしりと書き込まれている。あまりに小さい文字なので、一瞬黒く塗り潰されているのかと思ったほど。ページをめくっても、同じような書き込みがある。文机の向こうに立てかけてあるのは定規だろうか? 日本のものとくらべてかなりの大きさがある。マジックで書かれた目盛りは不均等で何を計るものかわからないが、それにもこのノートと同じくらい、使い込まれたあとがある。だとしたら、これは数学のノートかな、と見当をつけた。かなり熱心に勉強していたんだろう。俺はハオランの意外な一面を知れたことに満足してノートを閉じた。

 他のものは母親が片付けてしまったのかもしれない。少なくとも、この部屋からは、あの嬉々としてギターを弾くハオランの姿を思い浮かべられなかった。

 俺はそっと部屋を出た。小さな中庭に立つと、向こうにしゃがんだお母さんの背中が見える。木炭の煙に混じって、良いにおいがしていた。このにおいには覚えがある。ハオランの作るお粥と同じにおいだ。

 お母さんを驚かせないように、小さな声で、おはようと言ってみた。振り向いたお母さんの顔は、夜叉でもジャズシンガーでもなく、日本のどこにでもいるような穏やかな表情で、少しほっとした。

 中庭を横切ってお母さんの後ろに立つ。

 ハオランの家は、高い塀を巡らせた敷地の真ん中に中庭があって、それを囲むようにいくつかの小さな部屋があるという造りだった。家全体としては、かなりこぢんまりとしている。昨日の夜に見た他の家も全部、高い壁を持っていたから、これが典型的な中国の家ということになるんだろうか。

 お母さんの背中越しに、鍋の中身を覗くと、やっぱりそうで、とろりとした粥に白い泡がはじけている。そのはじける音までとろとろと美味しそうで、俺は耳を澄まして、昔の日本の朝も、こんな感じだったのかなと想像してみた。

 その時、携帯の着信音が鳴った。自分の携帯は、まだみんなが寝ている部屋に置いてあるし、そもそもメロディが違う。どこからだ、と思っていると、お母さんがおもむろに立ち上がって、エプロンのポケットから、韓国製のスマホを取り出した。木炭で調理する村にスマホが普及しているとは。勝手に郷愁に浸っていた俺は、どこかがっかりした。そういえばハオランも最初からスマホが使えてたっけ。

 電話に出たお母さんはひどく恐縮したように体を小さくして、電話の向こうの相手に何度も頭を下げた。短い電話を切り、ため息をついたお母さんが、俺に向かって何事かを呟く。

「朝ご飯を食べて、村長の家に行きましょう、だって」

いつの間にか中庭に出ていたマリリンが言った。

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 読売新聞の水曜夕刊に掲載されている新感覚カルチャー面。旬の人のインタビューコーナー「ALL ABOUT」を中心に、若きタカラジェンヌの素顔に迫る「タカラヅカ 新たなる100年へ」、コラムニスト・辛酸なめ子さんの「じわじわ時事ワード」といった人気連載に加え、2016年4月から、ポルノグラフィティのギタリストのエッセー「新藤晴一のMake it Rock!」、次世代韓流スターのインタビューコーナー「シムクン♥韓流」がスタート。オールカラー&大胆なレイアウトで紹介する2面にわたる企画ページです。

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