Pop Styleブログ

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ほぼ全文㊥では、話題はヒップホップと俳句の共通点に広がります。宇多丸さんに後を託そうとするせいこうさんに、「何言ってんの」と尻をたたく宇多丸さん。二人の関係、最高です。

 

たぶんラップが生まれた瞬間の何かってこんな感じだよなって(宇多丸)

いとう:俺は今、ダBlog96w2694_3ブ(※レゲエから発祥の音楽のジャンル)の方に行ってる。「建設的」とかを出してた頃にも、ライブでは必ずダブは1曲か2曲かやってたんだけど、同時に俺、ああいうトースティング(※リズムやビートに合わせてしゃべったり語ったりする行為。ジャマイカで音楽のスタイルとして発展した)とかジャマイカ的なものとか、ダブに対する目配せもずっとあったわけなんですよ。で、今はそっちに行ってて。だからDUBFORCE(ダブフォース)では、ポエトリー・リーディングをやってる。自分の本とか、あるいは政治的な声明とかを、基本的にアドリブでダブの上に乗せていって。リフは決まっているから、いつリフに入るかは全員の意思で決めるみたいな。かなり、演奏めいたことをやってんの。

宇多丸:うんうんうん。

いとう:やっぱラップって演奏にからむのがすごい難しいよね。やるならフリースタイル思いっきりやるしかないけど、おれフリースタイルできないから。で、結局、何かを読む、読むんだけど、それがものすごくリバーブ(残響)の効いた音になって、言葉が変調されて違う音になって聞こえる。それと意味をうまく絡み合わせることを、自分がコントロールするという方に興味が行っているんだよね。どうやって言葉を聞かせながら、踊らせるんだろうって。それを、4小節ずつ何かが終わっていくみたいな決まりがない中でやってくことの面白味(み)に興味が行っている。ラップって言葉なんだっていう原点にむしろ返っているというか、初期の、ラップをどう日本語でやるかってことにちょっと似ているような気がする。

宇多丸:それはいとうさんなりのフリースタイルなんじゃないですか?

いとう:ああ、いいこと言う! そうだそうだ。その場合に引用物があってもいいんだもんね、ほんとは。何を選ぶかは自分のセンスだから。

宇多丸:リズムに乗って、ある言葉を繰り返す。ライムスの曲で「耳ヲ貸スベキ」っていう曲があるんですけど、あれって、フリースタイルをしている時に、そういえば、「Check it out」って、日本語で言うとどうなんのかなあって。で、「耳ヲ貸スベキ」「耳ヲ貸スベキ」って繰り返しているうちに、あ、すげえ気持ちいいなって。意味もそうだけど、その言葉を繰り返すだけでも気持ちいいというか。

いとう:そうなんだよ。

宇多丸:さっき、フリースタイル以外はラップはバンドに絡むのは難しい、とおっしゃっていました。僕らたぶん、日本のヒップホップだと一番、生バンドに絡むのが多い組なんだけど、自分のヴァースをキックした後とか、サビとかの決まった部分以外、インプロビゼーション(即興)的なところになった時は、心地いいフレーズとか、上がるフレーズを繰り返すんです。それもフリースタイルだと思うんですよね。不思議なもので、声そのものも楽器だけど、言葉ってほんとに強い。たぶんいとうさんがダブの上でやっていることと近いし、たぶんラップが生まれた瞬間の何かってこんな感じだよなっていうか。

いとう:意味と音が同時に、どっちでもなく聞こえるというか、どっちもであるっていう面白さね……。

宇多丸:そうそう、不可分としてあって。

すごいよね。一回ラッパーに迎えてみらいくらい。(いとう)

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いとう:おとといかな、俺が今、ずっとくっついて回っている金子兜太さん、おそらく、松尾芭蕉がいて高浜虚子がいて誰々がいて、その後に金子兜太がいたってことになる大俳人なんだけど、今96歳(※1919年9月23日生まれ)かな。こないだその俳句道場に呼ばれて行って、兜太さんの弟子が俺のラップ好きだからラップのビデオとかを見せたんだよ。兜太さん、どうもヒップホップと混ざっちゃったみたいで、ラップラップって言っているんだけど……。

宇多丸:(笑) かわいい。

いとう:「せいこうのラップラップはいいなあ」って。10何年前に対談した時は、「日本語に脚韻なんて必要ないんだぞ、日本語自体が韻の塊なんだから」という論だったけど、「脚韻もなかなかいいねえ」って言い出して。で、よくよく話していったら、「今の俳句のいいところは、散文と韻文が不可分に結び付いて、平気で詠んでも、自由に韻が入っていると思う」と。「それはラップも俳句も同じなのではないかと。現代は日本語において韻文の時代だ」と急に言い出して。

宇多丸:おおー、すげえな。論が進んだ(笑)

いとう:そう、論が進んでんだよ。いや、すごいこと言い出したなあと思って。高浜虚子は「花鳥諷詠(ふうえい)」だから、あんまり散文っぽいものは好きじゃない、韻文の詩的な世界だけを求めていたけど、日常生活のこと、政治のことを詠んでいいんだということになる、と。これが散文だ、と。この韻文と散文が結び付いて今、みんなが詠めるんだと。「これ全部ラップ論じゃん」ってことなんですよ。

宇多丸:うんうんうん。

いとう:僕らがなんでラップが好きかってことの一つには、やっぱり、歌謡曲では歌えなかった言葉ががんがん入れられるってことじゃん。「佐村河内」とかさ。

宇多丸:言文一致ですよ。

いとう:そうそう言文一致ができるんだよ。このことの大きさっていうものを、もう既に、俳人の大物も、「それ以外は古い」って言っているわけだから。「今の俳人はみんな古い」と。「そのことに気付いていない」と。

宇多丸:おお、すげえな、すげえな。

いとう:すごいよね。一回ラッパーに迎えてみたいくらい。

宇多丸:たぶん言葉が、ラップというか韻文になると、詩が身体的になる、そこじゃないですかね。身体的に気持ちいいっていう要素が入るっていうか。

いとう:「耳ヲ貸スベキ」も、韻は踏んでないけど、そこだけ切り取って聞いたことないから、やっぱり一回、カタカナで聞こえるじゃん。「ん?」って思っているうちに意味は無意識のうちに入っているんだよね。このずれが気持ちがいいわけよ。

宇多丸:へえ、すごいな。その「脚韻なんか必要ない」という論の時、いとうさんに、「宇多丸ね、んなもん、元々韻なんかあるんだよ」に挑発されて、掛け言葉の……。

いとう:「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」でしょ?

宇多丸:いとうさんに「宇多丸もこれ読まないと」って言われて。チクショーって、こんな分厚い本を……。

いとう:すごいやつがあったね、小林路易先生の、日本語においては、掛け言葉が韻なんだっていう論ね。

宇多丸:いとうさんへの返礼として、「上喜撰(蒸気船)」入れましたからね、後に。(※幕末の狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)~」。ライムスターの「ドサンピンブルース feat キエるマキュウ」の歌詞に盛り込まれた)

 

格好いいラップ、日本語でできるから」っていう証明が一通り終わった。(宇多丸)

いとう:で、兜太さんとそういうことを話す前なんだけど、DUBFORCEのライブでいろんなものを読んでた時に、3月11日の近くだったんで、生徒たちを亡くした先生の句集ってのがあって、これは素晴らしい句集なんだけど、その中からいくつか読んだんだよね。そしたらね、今までね、僕、五七五避けてきたわけですよ。五七五を乗っけると休符の部分が民謡みたいで、「ナントカの、ウン」の部分(「上五」と「中七」の間の部分)がどうしてもださく古くさくなっちゃう。この「ウン」の部分を埋めるのに、ラッパーたちはみんな苦労してきたけど、今むしろ、五七五に近いの、いいんじゃないかなと思うようになっちゃって。

宇多丸:うんうんうん。

いとう:ダブって「間(ま)」の音楽だから、みんななるべく、あまり弾かないっていう美学があるわけで、その上に五七五を乗せて、ワンワンワンってリバーブが効いて、最後の五とかが響いてると、なんか意味が、ものすごい染みていくのよね。

宇多丸:へえー。

いとう:「なにこれ五七五?」って、今、俺は思ってる。民謡の乗せ方じゃないんだけど、五七五を匂わせるっていう乗せ方が、俺たちはできるんじゃないかと思うんだよね。今まではそれをどう崩すかをやってきたから。ほんのちょっと五をずらす、七をずらすだけで微妙に。それは英語圏の人が聴いたら、かなり新しい乗せ方、つまり俺たちがジャマイカンの乗せ方を聴いて、「おっ」と思うみたいなものができるんじゃないかと思ってるのよ。

宇多丸:なあるほど。

いとう:それは宇多丸にもやってほしいのよ。

宇多丸:あ、はい。

いとう:俺は飽きっぽいから、また違うこと考えちゃうから。

宇多丸:(笑) なるほど。五七五とか、日本語の「オン」な乗せ方、拍の頭から「ナントカ、カントカ」っていうのを、まさに避けて、どうやって言葉でリズムを刻んでいくかっていうのを僕らはやってきたわけだけど、最近はMummy-Dとかと「やっぱり、『オン』とか『五七五』は強いよ」と言ってる。

いとう:(笑) 言ってんだ。

宇多丸:数年前から、ほんとに刺したい言葉は、五七五的だったり、オンでいいとか、それこそ脚韻とかそういう要素はいらないとか、そういうのをやってはいますね。

いとう:やっぱりそうかー。

宇多丸:日本語本来の生理の強さっていうか。あと、やっぱり、「格好いいラップ、日本語でできるから」っていう証明が一通り終わったのもある。だから、多分、今の若い子とか、「フリースタイルダンジョン」とか見てても、ある意味、日本語的生理に忠実であることに、そんなに衒(てら)いがないと思う。

いとう:確かに。DOTAMA(ドタマ)とかも、パンチラインのところは、ほんとにためて、ためて、一言5文字とかで言うもんな。

宇多丸:あと、向こうのヒップホップは、どちらかというと「間」を空ける方向がトレンドになっている。だから、すげえダビーですよ。

いとう:ああ、なるほど。

宇多丸:トラックはすごくアンビエントで。ポツン、ポツンって言うみたいな。昔みたいにスピットするというよりは、ポン、ポンと言葉を置いていく、みたいな。

いとう:へえ-。

宇多丸:あれを日本語でやるのは難しかったりするけど、全体的にそっちに行っている。いとうさんがやってることは、世界の流れにシンクロしてると思いますけど。

いとう:そうだね。やっぱり詩としてどうなのか、聴かせるってどういうことかってやってくと、まあ、ある程度同じ所にきっと行き着く。

宇多丸:そうですね、研ぎ澄まされた言葉を、ポンって。だから俳句的とも言えるかもしれないですね。

いとう:ラップの場合、言葉数が多いっていう特徴があったから、言葉数が多いことはいいことなんだけど、それこそ一番聴かせたい時には、「間」があってから五いく、「間」があって七いく、五七いく、五七五いく、で、次のバースにいくってことが、おそらくあるんじゃないかと思ってて、それこそ兜太さんの最終理論を、まさにおととい(7月11日)引き出してきたばかりなんだけど……。

宇多丸:その言質すご過ぎますよ(笑)

いとう:五と七の組み合わせは、古事記、日本書紀以来ね、どうしようもない日本語の伝統なんだと、これは強いと。定型は強いと。なので、だからこそ、何でも詠(うた)っていいんだと。やっぱり季語がないとおかしいじゃないかとか、なんで憲法9条なんか詠うんだとか、政治と詩は違うと言われても、金子兜太は、「違う、全てが詩だ」と。「法律も何も、言語は全て詩である」と。

宇多丸:おお、それはすごい。

いとう:すごいこと言うでしょ? だから、「日本語は五七五の中に放り込んでおけば、全てが句になる」「どんな言葉も本来詩なんだから」と。「でも、いい句を詠むためには修業が必要なんですよね」って編集者が聞いたら、「それは高浜虚子が作った悪い宣伝だ」と(笑)。「人は素直に思ったことを五七五で言えばそれでいい」「そこにいい句ができる」と言うわけ。「こねるな、ひねこびた句を作るな」って言ってたのには、ぶっ飛んだな。それってフリースタイルじゃんって。

宇多丸:ほんとですね。

いとう:俺たち、バックボーンがすごいから(笑) 96歳、現代俳句協会名誉会長が言ってんだからね。

 

自分の言葉と音ってこういうものだと、俺は俺のやり方でやる(いとう)

宇多丸:さっき日本語の言文一致って言いましたけど、文章もそうだし歌詞もそうだけど、作るとき、なんか、ふだんしゃべっている言葉じゃないモードになっちゃって、それが良さでもあるんだけど……。日本のポップスはぼかした表現が良しとされるとかさ。

いとう:そうそう、そこ。

宇多丸:ふだんは、話している内容がどんだけ高度でも平易な言葉で話しているはずなのに、いざ文章として本になりますとなると、なんでこんな難しくなっちゃうの、なんか煙に巻こうとしてない?みたいな。

いとう:それあるんだよね。そっちを褒めちゃう部分もあるし。

宇多丸:今も言文一致できてないんだよ、だからやっかいなんだよ、とずっと思ってたんだけど。やっぱりフリースタイル文化というか、もっとスッと出して、それが詩でありポップなんだよって、我々がもっと納得できる時代になれば、日本語が変わるかもしれないですね。

いとう文学が文学めかしていられなくなる。生のまま行き過ぎると、それはアートじゃないんじゃないかって、勘のいい人でも言っちゃったりする。文学では黙説法って言ったりするんだけど、言わないでおく方が上みたいな……。

宇多丸:それはそれで分かるけど……。

いとう:宇多丸が言っていたように、既に、(ヒップホップのリズムに)日本語が乗ることは分かった、その上で我々は何をやるかという、先行世代だからこそできることがある。僕らは今まで、まあ僕は嫌になって10年ぐらいやめてた時期はあるけど、この音楽(ラップ)はどうして面白いのか、この言葉の実験がどういうものになるのかっていうことを、人に分かるように説かなければならないという面倒臭さがあったんだよね。で、「あいつ現場にいないのに、なんであんなこと言ってんだ」と、下からうるさく言われたりとかさ。「お前らに任せといたら、何にも説明できないじゃないか」と言ってやってたわけだけど。もう重荷は取れたから。自分の言葉と音ってこういうものだと、宇多丸は宇多丸の、俺は俺のやり方でやるっていう時代にようやく入れたんだよ。それが2016年。

革命運動って、常に戻ることじゃない。(宇多丸)

宇多丸:ようやくスタートラインじゃないですか?

いとう:そういうことかもしれない。そういう時に、たまたまこの「建設的」っていうアルバムが30周年で、しかもみんなにカバーしてもらって、フェスもやる。ヒップホップの重要な人たちはみんなここにいるっていうさ。キック(KICK THE CAN CREW)がいて、ライムスがいて、スチャがいて、そしてサ上たちがいるというのは、僕にとってはすごく大きいバトンの渡し場所だよね。

宇多丸:サ上なんてのはある意味、ヤンキー文化圏的なものと、いとうさんから僕に至る啓蒙派というか、そういうものの完全なハイブリッド。完全にムダなく、100%体現している。ついに、ある意味、いとうさんからの流れの完成形が出ちゃったという感じかもしれない。

いとう:出たね、よかったわー。

宇多丸:でもこれがまた、僕に言わせれば、放っておくと退廃が始まるんですよ。

いとう:そっか、俺たちが手綱を締めなければダメだなー(笑)。

宇多丸:僕はもう10年ぐらい前も、「もうOK」って、同じようなこと言ってたんですよ。「これがスタートライン、もうみんな分かっただろう」と。5年ぐらいして、「えーっ?」と。しばらく黙っているとそれかと。やっぱり、知らない人が後から増えてくるから。

いとう:そうなのよ。

宇多丸:みんなそれぞれやるべきことをやれ、なんだけど、やっぱり説教師は説教師で、説教は必要なんですよ。ついこないだまで、「バブー」って言ってたヤツがもう、「サイファー(※路上などで輪になりフリースタイルラップをし合うこと)こないだやってきてさー」って感じだから。

いとう:(笑) そういう生煮えのこと言ってんのよ。なんでいとうせいこうが(「フリースタイルダンジョン」で)審査員やってんだ」とか言ってんのよ。「おい、ちょっと待てよ」と。「そこ知らないの」みたいな。平気だからね(笑)

宇多丸:利発な子はね、今は、調べる術(すべ)があるからいいんだけど。常に、「なんでこれなのか、毎回考えてやれよ」と。「当たり前のものだと思うなよ」と。いろんなことをフレッシュに保つには、そこも大事だと思ってて。

いとう:もちろん、「バック・トゥ・ザ・ルーツ」が、一番新鮮なものを作ることだからね。

宇多丸:革命運動って、常に戻ることじゃない。

いとう:そう、戻る。原理に戻らなきゃ面白くない。

宇多丸:環境が整ってきたっていうことは、同時に、常に原理を考えてなきゃいけないということで。

 

もう俺はやめてよくて、そこは宇多丸に譲っとくから(いとう)

いとう:ていうか、もう俺はやめてよくて、だるま落としみたいに、そこは宇多丸に譲っとくから、俺の分も……。

宇多丸:でも、いとうさんがダブの上でやっていることって……。

いとう:原理的なことをやっている。俺はこれが原理だと思っているんだよ。

宇多丸:だから、いとうさんは「やっている」んですって。「降りた」って言っているけど、俺、いとうさんに初めてお会いしてがっつり話した時に、「この人降りてねえじゃん」って思った。

いとう:(笑) しつこいんだよね、意外と、俺ってね。

宇多丸:「ご謙遜を」ってことですよ。

いとう:まあ、確かにそうだ、すいません。

宇多丸:しかも、いわゆるヒップホップの現場で、たぶん、いとうさんは意地っ張りなんでしょうね。マイクを握らせても、スキルを誇示するじゃないですか(笑)

いとう:やるやる。

宇多丸:ノンブレスでバーッとやったりするじゃないですか。

いとう:やってるやってる。

宇多丸:(若い子が)「現場」「現場」とか言うけど、現場でマイク握ったら、俺が持ってっちまうよ、そんなもんって。この意地っ張りぶりも僕が見習いたいところで。

いとう:いとう老人がね(笑) やっぱね、ラップの現場って、俺としては絶対しくじれないとこじゃん。そこでやっぱり、かまして、俺を知らなかった人が、「えっ? こんなラップできるんだ」と思って、思わず手を上げるかどうかってのが、ほんとの勝負だから、どうしてもやっちゃうんだ。

宇多丸:それが大事だと分かっていて、なおかつ、それをやりきれるというのは、いとうさんがヒップホップをわかってるってことだし、すごいヒップホップなんだよね。今までの知識人的な人って、いくら勇ましいことを言ってても、会うとさ、「なにお前」って感じの人いるしさ。ぼそぼそしゃべってるとかさ。フィジカルが弱い。それはケンカが強いかどうか、ということではなくて……。

いとう:表現力がないわけよね。

宇多丸:そこが一致しているところに、やっぱラッパーのかっこよさみたいなものを見てるし、小理屈おじさんであればあるほど、「いやいや俺が一番ロックするし」っていうのは絶対保たないといけないと思っているんですよ。

いとう:そうそう、確かにそうだ。

宇多丸:だから僕がよく言うのは、「すいませんけど、ライムスターですからね」って。「フリースタイルは君らに負けるかもしれないけど、同じイベントで、ライブ並べてみる?」って。そういう意地をいとうさんはキープされているし。だから、俺はもういいからじゃないよって。何言ってんのって(笑)

(つづく)

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 読売新聞の水曜夕刊に掲載されている新感覚カルチャー面。旬の人のインタビューコーナー「ALL ABOUT」を中心に、若きタカラジェンヌの素顔に迫る「タカラヅカ 新たなる100年へ」、コラムニスト・辛酸なめ子さんの「じわじわ時事ワード」といった人気連載に加え、2016年4月から、ポルノグラフィティのギタリストのエッセー「新藤晴一のMake it Rock!」、次世代韓流スターのインタビューコーナー「シムクン♥韓流」がスタート。オールカラー&大胆なレイアウトで紹介する2面にわたる企画ページです。

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