こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る連載「宝塚 初物語」をお届けいたします。
今回は、NHK連続テレビ小説「おしん」にゆかりのある乙羽信子さん、大路三千緒さんを取り上げます。(乙羽さんは主人公おしんの晩年を、大路さんはおしんの祖母を演じました。)
乙羽さんは27期生で、娘役として活躍されました。1950年に退団した後は、映画を中心に活動しました。それが縁で新藤兼人監督と結婚されました。1994年、70歳でお亡くなりになりました。
読売新聞の初登場は、1950年9月3日朝刊です。宝塚歌劇団に突然辞表を提出したという記事でした。
記事によると、大映の映画への出演が劇団側の反対で不調に終わり、劇団が乙羽さんの意向を聞かずに東宝の映画への出演を決めてしまった。しかも、出演料は東宝と劇団の間で決済され、乙羽さんの手には入らないので、乙羽さんが愛想を尽かしたというものでした。
乙羽さんの談話も掲載されていて、「宝塚の内部が大変封建的なのでイヤ気がさしていた」とかなり手厳しいです。
同年9月25日夕刊に続報が掲載されていて、辞表提出騒動後、大映と宝塚で話し合いがあり、乙羽さんは退団して円満に大映入りできたということです。
大路さんも27期生。花組や雪組の組長を歴任して、1980年に退団され、テレビを中心に活躍されました。今年1月に100歳でお亡くなりになりました。
初登場は1989年2月16日夕刊。芸術座の舞台「櫂」の演劇評で、出演者の一人として名前を挙げられていました。
大路さんの記事は意外と少なく、2015年8月24日夕刊(大阪版)の記事が唯一のインタビュー記事でした。
戦後70年を機に、戦争を振り返るインタビューで、大路さんは、宝塚歌劇団の仲間とともに慰問で全国を飛び回ったことを回想しています。
「九段の母」という歌を仲間が歌い、母親役として大路さんがパントマイムで演じたことを思い出として語っています。インタビュー中、「九段の母」を口ずさんだ大路さんは「思い出すたびに悲しくなるの」と声を震わせたそうです。