こんにちは、こんばんは、おはようございます。popstyle編集長の森田睦です。
宝塚歌劇団のスターが読売新聞に初登場した紙面を探る連載「宝塚 初物語」をお届けいたします。
お察しの方もいるかと思いますが、宝塚の歴史で数多いるスターの中から、「宝塚歌劇の殿堂」入りされている方を中心に取り上げております。
8回目は、沖ゆき子さん、深緑夏代さん、淡路道子さん。
沖さんは13歳で予科に入学し、月組へ。「オッちゃん」の愛称で親しまれました。専科を経て1981年に退団しました。その後、書家に転身し、1997年にお亡くなりになりました。
読売新聞への初登場は、1981年8月15日夕刊。
「沖ゆき子 今月限りで引退」という見出しとともに、ご本人に宝塚での芸能生活を振り返ってもらっています。
沖さんの生年は、資料を調べてもあまり明らかにされていませんが、記事では「東京の深川育ちで、昭和十年、女学校一年で宝塚音楽学校に」と本人は語っています。
「しょせん女。背中に綿を入れてふくらませていてもクビが細いの。こんな思いまでしてなんで宝塚にいなければならないのかって」と、男役ならではの苦悩の日々があったことを赤裸々に告白しています。
次は、沖さんと同期で後にシャンソン歌手として活躍した深緑夏代さん(1921~2009年)。
戦後の宝塚復活第1作「カルメン」で主役に抜擢され、男役の大スター、春日野八千代さんとコンビを組みました。その後、越路吹雪さんとのコンビで一世を風靡し、1955年に退団しました。
初登場は、退団翌年の1956年5月25日夕刊。リサイタルに向けた意気込みを「今後はシャンソン一本で進もうと思っています」と語っています。
最後は淡路通子さん。
沖さんや深緑さんの1期下で、1938年に初舞台を踏み、花組や星組の組長を務め、専科へ。月組公演「翔んでアラビアン・ナイト」で退団しました。
1984年3月30日夕刊が初登場。宝塚退団を大きく報じています。
しかし、とても奥ゆかしい方だったのか「あたくしなど、新聞に出していただく値打ちはございません」と取材を断ったところ、記者が粘り強く追いかけていって、やっとインタビューに応じてもらったといいます。
ちなみに「翔んでアラビアン・ナイト」には、大地真央さん、黒木瞳さんも出演されていて、記事に添えられた写真では、淡路さんが大地さん、黒木さんを脇に従えて写っています。
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